★ 家族の手記 ★ (事例)

ある日突然最愛の家族が寝たきりになってしまった。そんな家族の手記です。
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2008. 5. 18 13 スキー事故 家族会への投稿文 (その1)                
2008. 5. 17 13 スキー事故 家族会への投稿文 (その2)                   
2008. 5. 16 13 スキー事故 家族会への投稿文 (その3)                 
 

 2008. 5. 16
 13 スキー事故 家族会への投稿文 (その3)                 
10.在宅療養への突入 
 人工呼吸器が外れたころよりそろそろ病院でのやるべきことはなくなってきたことを実感。そろそろ退院し早く別の治療をさせないと病状が固まって益々不利になるのではないかと心配になり、病院通いの合間を利用し、精力的に種々情報入手活動をした。 
 とにかく先ず佳美を自宅へ引き取るべく、介護設備の購入の準備が必要であった。設備の種類等の学習から始めたが、最初に市役所障害福祉課を訪れたところ、市の出先機関を紹介され、そこでの設備の選定途上で、適切な助言と指導と病院間の調整をして貰えるNPO法人に巡り合った。 
そこの担当者は娘の障害度合いをいち早く理解し、家族の在宅療養の簡便性を勘案し車椅子、ベッド、自宅でのリフト設備等の最適な設備の案内及び家族の体験等に時間を割いて呉れ、購入前の心構えの為、ある講演会への参加も薦められ出席した。この万全を期した手取り足取りの教導に在宅療養の一抹の不安は完全に一掃され、喩え首が座らず四肢麻痺者でも夫婦二人で在宅療養が充分可能で問題ないことを確信した。 
この確信を得たことで私の前述の信念は揺るぎなきものとなり、直ちに病院側に退院したい旨を申し出て、在宅療養の具体的な行動を開始しようとした。ところが息子を含み病院側から猛反対を受けた。理由は我々夫婦が介護で倒れるとのこと。我々を気遣って呉れるのは有難い事では有るが、娘の治療法はなく、どこも見てくれる病院はない筈なのに退院は駄目とは矛盾している。それならどうすれば良いのだろうか?以前の疑問が逡巡した。答えは明らかで病院間でのたらい回しである。そして鯔(とど)のつまりは在宅に戻ることになる。娘をたらい回しだけはさせたくない。 
息子の手前もあり強引に病院を飛び出すことは芳しくなく、早速NPO法人に事情を話したところ、「病院側は現在の進んだ介護施設を知らないのではないか。もしそうなら自分たちがそれらの施設を医長に説明し、出来ればそれらを病室にセットし退院前に取り扱いを練習され慣れた方が良い。医長を説得して許可を取って上げましょう」と、いとも簡単にこの大役を引き受けて呉れた。病院は恐らく前代未聞のことであろう。一介の患者が退院する為、自宅に据える設備を病室に持ち込んでテストするなんて。「先ず許可など出ないだろう」と実は私自身も半信半疑で事の成り行きを見守っていた。ところがとんとん拍子にことが進み、果たして、娘の病室で電動リフトを使用し車椅子への移乗テストが開始されたのである。 
先ず、門型レールがベッドを跨いで部屋一杯に据付けられた。そのあと特殊リフトが取り付けられセット完了。テスト期間は一週間とのこと。テストの初日には看護師長さんが初試乗することとなった。通常人手でベッドから娘を車椅子に移乗させるには少なくとも5人必要である。それがこの装置であれば2人でよい。問題は四肢麻痺の娘をどのように安全に吊り上げられるかに掛かっていた。結果は看護師長さんが余りにも簡単に吊り上げられ、何の抵抗もなく即座にゴーサインを出し、あっけなくテストは終了した。それと同時に暗黙のうちに娘の退院の了解も取れた訳である。 
考えてみると、病院側にはもう少し介護施設に対する知識が欲しいものだと思った。しかし病院で新しい装置を練習させて貰えた事、更に看護師長さんのご厚意で病院にあった最新のエアマットのテストもさせて貰い、お蔭様で医療関係者全員の理解と協力が得られ、在宅療養に向けて大きな一歩が踏み出された。 
 更に訪問看護師への挨拶、居宅介護事業者との打ち合わせ、往診医師への挨拶、訪問入浴との打ち合わせ、デイサービスの調査、介護設備/用品の購入手続きと毎日繁忙を極めた。 
病院側の指導により、10月初旬に一旦練習の為、自宅への外泊が実施され、問題なきことを確認し、2005年11月25日、入院より丁度8ヶ月目に無事退院した。 
病院側の配慮として、退院後3ヵ月毎に娘の健康チェック、胃瘻チュウブ交換及び家族の介護軽減にと2週間入院しても良いとの申し出があった。有り難い事ではあったが、実は現在のところ在宅療養の方が健康管理が旨く行き、近くのクリニックの先生の往診もあり、更に息子が常時、診てくれる為、あまり病院には迷惑を掛けずに済んでいる。 
NPO法人の万全の指導により在宅用介護施設は無難に調達できており、病院と違って娘が横にいるため安心出来、余計な心配をする必要もなく、吸引も何時でも出来、全体として娘の在宅療養生活は非常にスムーズに滑り出した。娘自体もこれを望んでいたことではないかと思う。 
ここに我々夫婦は何時終わるとも知れぬ24時間介護の生活に突入した。不思議と不安がなかった。寧ろこれからは自由に何でも好きな治療が出来ると言う開放感と安堵感の方が大きかった。そしてこれからは娘の回復に少しでも繋がると思える治療及びリハビリは何でもトライ出来る喜びもあったのも事実である。 
 
11.脊髄後索電気刺激(DCS)手術  
在宅療養に入るや否や、以前に聞いて記憶にあったNHKでの遷延性意識障害者の最先端治療(DCS)に関する放送番組からT県で治療出来る病院(J大学病院)及び担当医師(脳神経外科K助教授)をNHKから聴取。その病院に予約を取り2005年12月15日外来患者の家族として相談に行った。その先生の説明によると娘は脳に外傷がなく受傷一年以内であれば、電圧刺激で回復の可能性がある。但し成功確立は40%だがあくまでリハビリの一つとして考えて欲しいとのことであった。 
年明けての2006年2月6日に入院。電極の埋め込み手術を2006年2月8日に実施した。所謂上位頸髄硬膜外刺激療法である。我々夫婦にとっては大きな望みを託した。 
 在宅での注意としてJ大のK先生からは出来るだけ、視聴覚に刺激を与えるよう指示があった為、以前病院にいる時以上に娘の好きな音楽、映画をCD,DVDで頻繁に流した。また娘の国内外から友人も入れ替わり立ち代り自宅に見舞いに来てくれ、お蔭様で娘の周りは日々結構賑やかになっていた。娘の顔つきが変わってきたようだった。 
 6ヶ月経った2006年7月26日に途中の経過の診断でJ大を訪問。この時は残念ながら電圧の刺激に慣れてしまい顕著な血流変化が起こらなくなったようで、電圧を1.8から3.5Vに上げることになった。 
2006年7月24日にはイギリスから日本旅行(本来は娘が案内する約束であった)を兼ね友人2人が見舞いに来てくれた為、我が家に宿を取らせ、2006年8月1日思い切って彼らと一緒に、娘が幼いころ育った思い出のF市や学生時代に過ごしたK市を一泊旅行で訪問した。彼ら二人が娘の介助をしてくれた。 
まさかここまで旅行出来るとは考えもしなかったことで、適切な車椅子を選定して貰った 
NPO法人のお陰と感謝せずにはおられなかった。秋には紅葉にと車椅子での積極的な旅行及び外出を続けた。 
DCS治療を続けながらも、この頃関係医療機関に電話を掛け捲っていた。例えば所沢の国立身体障害リハビリセンター、参考までに交通事故専門の千葉療護センター等。特に地元のT県O市のKF大学クリニックの耳鼻咽喉科にはカニューレ抜去の相談に伺い、後日2006年12月27日に娘の診断をして貰った。鼻より挿入したマイクロスコープで現状確認により、唾液が気管に流れ込んでおり、この量が減少しないと、抜去は難しいとの結果に終わり、成果は得られなかった。 
またマッサージ、リフレクソロジー(足の反射帯治療法)、生のピアノ伴奏による音楽療法等も同時に進めた。そしてDCSの効果の判断基準となる一年目を迎え、2007年2月14日に再度自治医大を訪問した。 
治療効果を高める為、3.5Vに電圧負荷を上げたが以前7月26日に観測された脳血流の顕著な変化は今回は見られなかった。「今後はこの方法(DCS治療)を主体とせずこれ以外にも意識回復に対する取り組みをしながら継続されるよう」との指導を受けた。大変残念なことであった。しかしこれで諦めるわけにはいかない。まだまだ他の方法がある筈と意を強くして前向きで進むことにした。 
 
12.紙屋克子先生との出会い 
このころ情報探索の最中インターネットで全国遷延性意識障害者・家族の会に巡り合い即座に入会した。そして送られてきた貴重な会報を貪り読んでいた。会報で紙屋先生の記事を知り、遷延性意識障害者への救済の為のご活躍に大きな感動を覚え、何とかこの先生に在宅で見て貰えないだろうかと内心密かに思いを巡らせていたのである。 
2007年2月1日には家族会のTさんにそのことを相談。直接電話されたら良いとのご助言を頂き2007年2月8日に思い切って紙屋先生に直接電話した。この日はいみじくも一年前娘が自治医大でDCSの電極挿入の手術をした日であった。 
先生に娘の病状を説明後「うちの娘を見て欲しい」と単刀直入に申し上げたところ、「分りました。お宅に伺います。ただ今年は予定が一杯で余裕なく新年度に新しく予算を取るので4月にご自宅にお伺いします」とのご回答。「まさか」と思わず我が目を疑った。あのご高名の先生が見ず知らずの我が家へ来て頂ける。何と有り難い事か!感激で思わず全身が身震いした。その後何度かFAXで交信させて頂き、拙宅訪問日が5月25日に決定。既に先生の年間スケジュールがびっしり決まっておられるご予定の中から何とか空いた日を捻出して頂いたのである。感謝に耐えない思いであった。ただこれだけ著名な先生が我が家だけの訪問では常識に考えても余りにも勿体ないしまた恐れ多いと思った。そこで厚かましくも更に息子の病院でのご講演をお願いした。先生はこれも快くご引受け下さった。講演は「患者の心に届くケアとは」と題し、当日の午後6:00から病院の多目的ホールで雨にも拘らず実に360人の参加者が集まり、その熱気溢れる聴衆者を前にご熱弁を振るわれ、講演は後日地元のS新聞にも取り上げられ大成功理に終わった。 
 話の順序が逆になりましたが、当日5月25日午後3時間半にも及ぶ拙宅での紙屋先生のご指導は、至れり尽くせりで、訪問看護師は勿論のことヘルパーさんにも同席し、こと細かく先生ご指導して頂いた。主旨は他動による意識の鼓舞で内容は下記の通りです。 
     ベッド上顔面ケア 
     ベッド上端座位によるモーニングケア 
     床上での腹臥位及び身体、脚のリハビリ 
     トランポリン 
特にお持ち頂いた専用のズボンの着用は娘を両側から2人と頭を支える1人の3人でいとも簡単に何処へでも移動できること、喩え四肢麻痺でも健常人にも勝るとも劣らぬ活動が出来そうだと言う事が分かり、これまでは特殊シートを使っても5人がかりでしか横移動が出来ないと思っていたので、その喜びは大きかった。さすが紙屋先生だなあとしきりに感激した。 
 またトランポリンは既に野田先生の音楽運動療法で使用されているものであるが、その場合専用のトランポリンが必要でそれ自体まだ高額で購入し難いものだが、紙屋先生の方では幼児用の安価な円形型トランポリンで良く、スペースも取らず上記の専用ズボンによる移動方式でトランポリンの中央に娘を座らせ、1人が娘の背後に立ち後ろから頭と身体を支えて上下振動を起こすと言う非常に簡単な方法で実施できるものである。当然音楽を流し音楽運動療法として活用させて頂いております。 
 
13.成果 
 紙屋先生の看護プログラムを在宅で続けてそろそろ一年になりますが、手の握り、足の反応等、少しずつ、回復の兆しが出てきておりますが、今、一番の具体的な回復の兆候としては嚥下反応が格段に向上したことです。 
 全く何も喉から飲めなかった娘が、果汁ジュース、清涼飲料水、ゼリー、プリン、お茶等ゴクゴク飲むまでに回復しております。まだ唾液が気管に流れカニューレを外せるところまでには到って居りませんが、これからもまだまだ粘り強く継続して行く予定です。 
 これからまだまだ回復の道程は長いのですが、病院からの退院の時は、ただ寝ているだけですと言明され絶望感に明け暮れていた頃から考えると夢のようで、回復が具体的に眼で確認出来、先が明るく希望が出てきて、確かに24時間の苦しい在宅介護生活ですが、楽しみも感じられるように成ってきました。  
何と言っても家族会へのご支援には心より感謝申し上げます。 #aright# 
 
14.今後のこと              
この上は同じ悩みを持たれ苦労されている遷延性意識障害者に対しても私共と同じ楽しみを享受出来るよう、家族会会員を広め、T県内で結束を計り遷延性意識障害者の生活支援の改善に取り組んで行きたいと思います。 
 
 
 
 
 

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