the world is not enough


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大村雪乃  ..t      返信
 
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再掲?かもしれないが思い出したので。
カラフル丸シールで描いた夜景。
まず闇がある。
..2014/01/28(火) 04:29  No.3523




『ネイキッド・シティ』で伝えたかったこと  ..t      返信
 
  シャロン・ズーキン(米国ブルックリン大学教授)



・ヴェルダが写したパリの商店街では、都市の文化のDNAは、移民達によって継承されていることが示されている。
・移り住んだ人々の変化が商店を変え、地区を変えていく。その魅力に惹かれた富裕層が住むことによって、ジェントリフィケーションが進んだ。
→オーセンティシティの定義がまだ曖昧な気がする。日本語では、質、と呼ばれるようなものかな。
・新しいオーナーが貢献したいと考えるコミュニティは、低所得者のそれではない。そこにはテイストの対立がある。サービスが向く方向が異なる問題。

..2014/01/28(火) 00:22  No.3521
新しい公共性  ..t     
 
  

・放棄された空き地に環境活動家が美しい庭をつくるところからコミュニティガーデンが始まった。
・成り立ちから分かるように、これらは低所得者の住むエリアにあった。70年代には違法であったものが、その魅力ゆえに、この地域を住宅開発しようとするデベロッパーにとってコミュニティガーデンは極めて肯定的なアメニティになった。不動産価格を向上させた。
・ブルームバーグの時代に、いくつかは住宅開発されたがいくつかは残され、ニューよーくにとって重要な資産であると捉えられるようになった。
・ジャネット・サーディ・カーン:交通局長:歩行者空間を増やし、自動車空間を削減した。
→警察沙汰になるような活動家が日本にいないな。。
・自転車は、他の交通手段による交通量を減らさないという条件を満たしていることが重要。
..2014/01/28(火) 02:10  No.3522




memo  ..t      返信
 
  コンテンツとコンテナーのインターフェースだけがある、という藤幡さんの名言
を、じつは咀嚼するにはまだ時間がかかる。。。
..2014/01/22(水) 14:15  No.3517




イワン・バーン: 創造的な家が見つかる場所  ..t      返信
 
  http://www.ted.com/talks/lang/ja/iwan_baan_ingenious_homes_in_unexpected_places.html

たくましいし美しい。人間の環境適応能力はすばらしい、という点に異論はない。
しかしどこか、ザイードのオリエンタリズム的な位置取りに思えてしまうところがある。
..2014/01/21(火) 03:34  No.3516




態度が形に変わるとき、1969年、ハラルド・ゼーマン  ..t      返信
 
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呼ばれてないのに、周辺でストライプを貼り続けたダニエル・ビュレン。
..2014/01/21(火) 00:48  No.3515




「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?3 歴史・メディア編 | 南後由和  ..t      返信
 
  ダーティ・リアリズムは、アスファルト地獄、荒廃した街路、産業廃棄物場などの「暗部」を、従来の公/私、内部/外部、美/醜の区分が失効した場所として注目するという点で、ヴェンチューリらの議論を部分的に継承し、そこに挿入される建築物による「異化」を狙った★三。

http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/756/
..2013/12/17(火) 04:30  No.3514




memo  ..t      返信
 
  ナショナリズムとパトリオティズム
..2013/12/17(火) 03:12  No.3513




批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム | 五十嵐太郎  ..t      返信
 
  フランプトンは批判的地域主義の戦略を思索しながら、テクトニクスの概念と連動させる★八。大衆的な商業建築に学ぶポピュリズムが情報戦であり、伝達手段として記号を扇動的に使うのに対し、批判的地域主義は地勢や独特なテクトニクスから着想を得るという。テクトニックは地形、あるいは土着的な素材や構造形式と不可分だからだ。彼はテクトニクスが「ロバート・ヴェンチューリの装飾された小屋が世界的な勝利を収めようとしていることへの反抗」だと表明している★九。いずれも近代建築の推進した「空間」信仰への異議申し立てという点では共通するが、両者の立場は建築の本質を何とするかをめぐって対立している。フランプトンの経歴を察すれば、アカデミズム一辺倒ではなく、三〇代の前半に建築の実務を行なったことが、視覚的な記号や様式への懐疑を強めたと思われる。つまり、彼は建築の自律性が主にテクトニクスにあると考え、「ファサードによる表象ではなく、詩的なものの構造における現前」を重視する。そこから彼は視覚優位の建築を批判しつつ、触覚の復権を計るのだ。
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/923/

しかし今、テクトニクスの地域性などあるのだろうか
..2013/12/16(月) 19:40  No.3507
Re:批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム | 五十嵐太郎  ..t     
 
  古代のウィトルウィウスは、天候の地域差で人間が異なるように、建物の配置も変えるべきとし、「北天の下では、ヴォールト式の、特に四方囲まれた、開放的ではないが暖かい方へ向いた室が造られるのが適当であると思われる。これに反し、強烈な太陽を受ける南の方角の下では、暑さの重圧を受けるから、なるべく開放的で、北と東北に向いた室が造らるべきである」と語った★三。が、この地域性は規範となるローマの古典主義からの偏差であり、標準から劣ったものを含意する。ローマ帝国の古典主義建築が地域を超えた最初のインターナショナリズムであったからこそ、同時に地域性の意識が生まれたのである。
..2013/12/16(月) 20:10  No.3509
Re:批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム | 五十嵐太郎  ..t     
 
  グローバルな差異は、今日にあっては、グローバルな同一性と同じなのだろうか」と疑問を投げかける。とすれば、インターナショナル・スタイルが資本主義と手を結んだように、リージョナリズムは後期資本主義の尖兵となってしまうのか? 確かに観光的な地域主義は、差異を商品化し、この罠にはまっている。一方、批判的地域主義は普遍性と個別性を同時に意識するが、抵抗という誇り高い意志を除けば、結果的に後期資本主義の戦略と近接している。そして見えにくくなった中心的な権力を温存するために、周縁の存在が逆に利用されることもありうるのだ。ゆえに商品化した地域主義に安住することなく、抵抗を続けることが必要なのである。
..2013/12/17(火) 01:19  No.3510
Re:批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム | 五十嵐太郎  ..t     
 
  批判的地域主義は、ある程度の場所性が残存することを前提している。だが、これは同時にその限界を指し示している。つまり、都市という砂漠の特に荒廃した領域では、場所に強度がなく、最初から喚起すべき記憶が存在しない。ゆえに、批判的地域主義は有効に作用しないだろう。非人間的な都市を回復すべく、建築家は格闘したが、成功例は少ない。空間を秩序づけるには空々しい。設計に参加すべき住民もいない。もはや場所性を与えることが困難な衰退した都市。そこで伝統的なコンテクストの有無に関係なく、都市のありのままの姿を見つめ、不毛の地に介入するリアリズムが要請される。ルフェーヴルはこうした環境に機能するダーティ・リアリズムの建築を提唱した。都市のどうしようもない所を対象とし、いわばマイナスを二乗してプラスにするといった逆転の発想で魅力的な場所に変換する。これを都市版の批判的地域主義と呼ぶことができるかもしれない。
..2013/12/17(火) 01:39  No.3511
Re:批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム | 五十嵐太郎  ..t     
 
  大都市は、同じ国の地方都市よりも、他の国の大都市と似たような環境を生む。従来は、そこに生成する建築を単にインターナショナリズムと呼んだ。しかし、ダーティ・リアリズムのように、それを都市のリージョナリズムとして設計することも可能だ。かくして、ひとつの建築がインターナショナリズムとリージョナリズムに二重化する。
..2013/12/17(火) 02:06  No.3512




memo  ..t      返信
 
  形の働き、から働きの働き、へ。
にも関わらず、形として解く。
..2013/12/16(月) 19:46  No.3508




内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t      返信
 
  普段から神宮の景観に気を配っていたのか、という意見には全く同意。
秘密保護法案にしたって、同じことが言えると思う。

振り上げた拳をどこに持っていくのか、ということにも半分同意。「運動」化したことで、ますます着地点が分からなくなっている。さまざまな意見がごっちゃになって、悪い意味で一丸となってきているように思えるから。
半分は、それを言っちゃ何も反対が言えねーよ、という不同意。
..2013/12/10(火) 11:08  No.3501
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
  
【建築家諸氏へ】

新しく建てられる国立競技場のことを本当はどう思っているんですか。会う 人ごとに聞かれます。講演をすれば、しゃべったテーマとは関係がないのに、 この件に対する質問を受けます。何通ものメールもいただきました。こちらと してはいささか食傷気味ですが、建築界としてはここしばらく例がないほどに 関心が高まっているのだと思います。社会的な正義を唱える建築家たちの姿は、 しばらく見かけなかったことです。これは是とすべきでしょう。

国立競技場の設計競技については、審査委員の一人である以上、結果に対し ての責任は当然のことながら負っているものと思っています。ただし、審査経 過とその対応については、明文化されてはいませんが一定の倫理的な守秘義務 を負っているはずなので、審査委員長の発言や公式発表を越えた発言は、可能 な限り控えたいと思っています。以下に述べることは、現在の全般的な状況に 対するわたし個人の見解と危惧です。触れることができる範囲のことと自分の 考えを述べ、以後、質問にお答えすることは控えたいと思っています。

..2013/12/10(火) 11:09  No.3502
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
  設計競技の手続きに関して、いくつか厳しい指摘がなされていますが、短い 時間の中での窮余の策であったことを考えれば、充分とはとても言えないまで も、まあまあだったのではないかと思っています。世論喚起を急ぐあまり、広 告代理店による誤解を招くような事前の情報発信があったことは反省点です。 設計競技全体の在り方に関しては、類似の案件が生じた場合の対応として、今 後に活かす議論とすべきです。今回の事例を土台に、より良いものに改善され ていくべき事柄だと思います。不備を指弾する声もありますが、普段からこの 仕組みを議論の俎上に上げてこなかった自省の弁から始めるべきです。そうで なければ、設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこう、ということに なりがちだからです。

これは景観の議論にも通じることです。景観を公共財とするなんてまるで意 識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは 記憶に新しいところです。普段から問題意識がなければ、議論は後追いになる ばかりです。常日頃が大切です。署名運動を繰り広げている建築家たちは、常 日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。絵画 館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。絵画館に飾られている絵画を一 度でも見たことがあるのでしょうか。
..2013/12/10(火) 11:12  No.3503
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
   設計競技でもっとも重視されるべきは、審査過程に於ける公平性であること は言うまでもありません。審査委員会に、特定の意志が外部から働くようでは、 審査も何もあったものではありません。この点に関して、わたしの知る限り、 外部から働きかける特定の意志は、まったくありませんでした。審査過程で意 見の相違はあったにせよ、審査結果は、あくまでも審査委員の責任に於いて、 委員長によって取りまとめられたものと思っています。

個性的なザハ・ハディドの案については、建築家諸氏には賛否があるはずで すが、あの案の中にある生命力のようなものを高く評価することでまとまりま した。最後に決する際、日本を元気づけるような案を選びたい、という委員長 のとりまとめの言葉は、委員それぞれに重みのあるものと受け止められたはず です。

あの時期のことを思い出してください。大震災の記憶が生々しく人々の脳裏 に残っている時期でした。三陸の復興は先がまったく見えず、福島の原発は危 機的な局面が続く迷走状態でした。多くの人が漠然とした不安を心の内に抱え ていたはずです。痛みや悔恨が世の中に満ちていて、未来への希望がなかった のです。オリンピックにしたところで、あの時点で東京が招致に成功するとは、 ほとんどの人が思っていなかったはずです。わたし自身も招致の可否について は半信半疑でした。
..2013/12/10(火) 11:12  No.3504
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
   招致が決まった今だから言えるきれい事もあります。しかし、あの時期を思 い起こせば、ザハの案に決定して良かったと今は思っています。これは好みや 建築的な主義主張の問題ではありません。あの案がオリンピック招致に果たし たであろう役割も思い出すべきです。あの思い切った形は、東京の本気度や真 剣さを示すという大きな役割を果たしたはずです。

高邁な論議とは異なる次元で、おおいに危惧していることがあります。それ は設計者であるザハのやる気です。建築の設計者であれば誰でも了解できるこ とと思いますが、建物のレベルは設計者の情熱の絶対量に掛かっています。設 計者がどれくらいの精神的なエネルギーを投下するのかによって、建築のレベ ルは大きく変わります。当選したけれど、あれこれ面倒くさいことばかりで嫌 気が差し、担当者任せ、実施レベルの設計者に任せっぱなし、という状況が生 じるとしたら、あの建物は規模だけ大きい二流の建物になってしまいます。ザ ハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけていったら袋叩きにあった、という気 持ちかもしれません。そうなれば、それこそ国税一千数百億を使った壮大な無
駄遣いです。ザハはソウルで巨大な美術館を完成させつつあります。東京の建 物はそこそこでいい、ソウルの建物こそが自分の作品だ、ということになった らこれ以上残念なことはありません。

ジャン・ヌーベルの基本設計による汐留の電通ビルは、 ヌーベルにとっては 不本意な作品だと聞きます。彼にとっては、自分の作品ではない、ということ なのでしょう。実際、ヌーベルらしい切れ味はなく、中途半端な印象は免れま せん。あまり話題にもなりませんでした。神宮のザハは、汐留のヌーベルにし てはならないのです。ザハのやる気に関して、今現在、世論を誘導している諸 氏は、その責任を取る覚悟があるのでしょうか。

スペイン北部の街ビルバオに、フランク・ゲーリーの設計によるグッゲンハ イム美術館が出来て二年ほどした頃、近くのサンセバスチャンで会議があり、 次の日に訪ねたときのことです。夜になって、地元の建築家たちと会食になっ たとき、あの建物に対する印象を訪ねてみました。あの建物のことが好きか、 というわたしの問いに対して、「好きなわけがないだろう。大嫌いだ」。その後 に続けた言葉が面白い。皮肉っぽい笑みを浮かべて、「でも、大成功だ」、と言 ったのです。知っての通りビルバオは、いまだにスペインからの独立運動が燻 るバスク民族の主要都市です。ゲーリーの奇妙な建物が出来たことにより、世 界中から人が来るようになり、そのことはバスクの存在を世界に発信すること になった、というのです。好き嫌いを越えた戦略的な発想だと感じました。わ れわれもこれに習う戦略的な賢明さを持つべきではないでしょうか。

そのためには、ザハに最高の仕事をさせねばなりません。決まった以上は最 高の仕事をさせる、ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせる、というのが座敷 に客を呼んだ主人の礼儀であり、国税を使う建物としても最善の策だと思うの ですが、どうでしょう。
..2013/12/10(火) 11:13  No.3505
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
   一人の建築家として槇先生が意見を表明されたことには、全く違和感はあり ません。勇気ある発言に敬意を表します。審査に加わらなかったとしたら、わ たしもわたしなりの考えを表明したかも知れません。しかし、ことが署名運動 にまで拡がりを見せるとなると、違和感は増すばかりです。さらに、それが組 織的に繰り広げられたとなると、看過できないことになります。その意味する ところが変わってきます。団体名で提出された署名は、その団体の意見表明と なるわけですが、その団体はこのプロジェクトに対して本気で水を差す覚悟が あるのでしょうか。建築家の良識とは、その範囲のものだったのでしょうか。

ザハの案が、建築的な議論として深まっていかないことも不満です。あれほ ど個性的な案が選ばれたのですから、本来なら、建築とは何か、建築表現とは 何か、建築には何が可能なのか、というより根源的な議論が巻き起こってしか るべきなのに、語られているのは「分かりやすい正義」ばかりです。

要望書を待つまでもなく、事務当局では規模や予算調整に動いていましたが、 現在示されている縮小案は、ずいぶん小振りになり、景観的にも絵画館から見 てそれほど威圧感のないものになりました。観客席の肩を流線型の形の中に収 めた形態は、審査で目にした他のどの案よりも数段控えめなものになったはず です。

ザハは、東京という巨大都市のアイコンを造る、と言ったわけですから、あ まり控えめになりすぎるのも心配です。わたし自身は、どうせやるのなら、こ の建物に合わせて東京を都市改造する、くらいの臨み方がよいと思っています。 大会開催後改修して規模を小さくしたロンドンのオリンピックの会場と比較し て、8 万人収容の問題も縮小案の俎上に上がっています。ロンドンには、この会 場以外に 8 万人規模の収容人員を持つところが二つもあるわけですから、一概 に規模だけを問題にするのは早計です。

東京という都市は、上海、香港、ソウル、シンガポールなどとコンペティテ ィブな関係にあります。新興勢力の前に負け戦が続いています。縮退は麗しい 美学かも知れませんが、意欲的な改革無くして、高齢化圧力が増すばかりの東 京が都市間競争の負け組になるのは明らかです。個人的な見解ですが、8 万人規 模の集客が数多く生まれるような都市になるためにはどうしたらよいのか、そ のような東京を造っていくのにはどうしたらよいのか、と考える方が前向きの 考え方ではないでしょうか。

もともと神宮外苑は、体力の向上、心身の鍛練の場、文化芸術の普及の拠点 として造営されたものです。大隈重信が明治天皇の墓稜として、森厳な杜とす べし、と言った内苑とは対照的に、明治天皇が好まれた近代スポーツの場とし て、開かれた場所として造営されたことに始まります。歴史性を問うなら、そ の発祥は新しい文化を取り入れ育む場所だったことも思い出すべきです。時を 経て、絵画館前の並木道など、緑多い都市公園として市民に親しまれてきたの も理解できます。わたしもあの場所がとても好きです。その一方で、都心にあ るこの場所の活用の仕方こそが、新しい東京を造る上での成否を握っていると も言えます。

この国では、とかく縮小方向で議論をまとめていく傾向があります。無駄遣 いをやめる、節約が美徳。そちらの方が「分かりやすい正義」になりやすいか らです。新しい国立競技場は、その姿形からして目立つという点で分かりやす いターゲットの出現ですが、今現在、掲げられている錦の御旗に依拠している 限り、建築の文化に資するような議論には発展していかないでしょう。異議を 唱える諸氏は、振り上げた拳をどこに下ろすつもりなのでしょう。国立競技場 の建設を止めさせれば満足なのですか、オリンピック招致を見送れば満足なの ですか、どこまで成果が得られれば矛を収めるつもりなのですか。そう問いた い。

わたしは、あらゆる論理の手前には感情がある、と思っています。コンペの 枠組みを作った官僚的な意志決定のシステムについては、震災復興で相手にさ れなかった憤懣が渦巻いているはずです。さらには、わたしも含めた審査委員 に対する嫌悪もあるでしょう。市井の建築家なのに、権力の片棒を担いでいい 気になっている。そういう気分が働いているはずです。そういう無意識に突き 動かされた感情が、諸氏の言葉の裏側に貼り付いています。分かりやすい目に 見えるターゲットが現れ、そこに噴出する出口を求めているかのように見えま す。手前にそうした感情がある限り、批判のための理屈はいくらでも立つでし ょう。神宮の外苑の景観など、いままで一顧だにしてこなかったのに、いきな りそこに正義の根拠を求めるようになる。感情に訴え、署名を求めるには分か りやすい話です。

しかし、三陸や福島はいいのでしょうか。あそこで蠢いているのは、旧弊に とらわれた法律や制度そのものです。放射能をどのように処理するのかという 答えのない問いです。分かりやすいことには過剰に反応するのに、分かりにく くより本質的な問題には黙する、というのはおかしい。もし、市民の立場に立 つというのなら、良識を標榜するのなら、署名を集めるのなら、本当に怒る相 手を間違えているのではないでしょうか。

オリンピックは短期間のイベントなのだから、無駄遣いをしないようにして やり過ごした方が良い、という意見もあります。たしかにオリンピックは短期 間のイベントですが、世界中の人が東京という都市を目にする機会であり、た だでも誤解されやすい日本という国の本当の姿を理解してもらうのには絶好の 機会です。64 年のオリンピック時には、首都高速が造られ、青山通りが整備さ れ、新幹線が通りました。要するに、あのイベントを通して、次の半世紀に渡
る発展の下ごしらえをしたのです。自宅に客を招くことになれば、それなりに 掃除をし、住まいを整えるのは当然のことです。それがわが国の生活習慣のマ ナーでもあります。これを機会に、東京を次の半世紀に向けて強くするのです。 新しい国立競技場は奇異な形に見えるかも知れませんが、これを呑み込んでこ そ、次のステップが見えてくるのではないかと思っています。

2013.12.09
内藤廣
..2013/12/10(火) 11:13  No.3506





  




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