病と闘う事だけでも、大変だったはずです。初めは辞めたいと言ったのです。それを、残ってほしいとお願いしました。彼女に代わる人はいないのです。そして、「senior breath of wind 和」が、少しでも、心の支えになってくれるのではと、浅はかにも思ってしまったのです。TKちゃんにとって、2007年4月から、ずっと大切に守って来た宝物だったからです。
YUちゃんからしたら、「自分との時間を優先してほしい」と思っていたはずです。 迷惑だったかもしれません。YUちゃんと、代表を辞めるかどうかで喧嘩になったと聞きました。本気で喧嘩して、最後はYUちゃんが折れて、「TKがやりたい事が、和の事なら、何処までも付き合ってやるから」と、まで言わせたのは、TKちゃんの「senior breath of wind 和」への思いの深さだったのでしょう。 YUちゃんは、TKちゃんが大好きなのです。可愛くて、可愛くて、プライベートで会っていると、その眼がとろけそうに甘いのです。 そんなYUちゃんとTKちゃんの時間を奪ってしまったのかもしれません。 YUちゃん、ごめんなさい。 それでも、TKちゃんは前を向きました。こよなく大事にして来た「senior breath of wind 和」の事を投げ出したくなかったのです。それは、最後の時まで続きました。
昨年9月に、前もってスタッフへの相談として、今年(2024年)音楽会をしたいとの打診が有りました。やろうとなりましたが、自分から団員に直接伝えたいと言っていたので、KZさんも私たちも、TKちゃんの体調が良くなる事を心待ちにして来ました。 TKちゃんは、音楽会が、「senior breath of wind 和」の益々の活況を生むのではと、考えていたのです。そして、自分が居なくなった未来の「senior breath of wind 和」を団員たちに託したかったのです。
昨年末、入院したその病床からの電話でも、音楽会のことを話していました。 「私、頑張るね。」
この4年近く、体調の変化に、一緒に泣いて、一緒に笑って、時には叱り、いたわり、励まし、コロナ禍の中、会えない時期が長くなっても、毎日のように会っているかと錯覚を覚えるほど繋がっていたLINE。その内容は、病の事、そして、なにげない日常の話の他は、「senior breath of wind 和」のことでした。彼女とのお別れに向かう車中で、彼女とのLINEを読み返してみると、涙が止まりませんでした。なんてことを頼んでしまったのかと……。 TKちゃんとYUちゃんの、その病との戦いは一言では語り尽くせません。TKちゃんの病との真摯な向き合い方に、畏怖の念すら覚えました。凄い人たちです。
実は、療養中なのに、TKちゃんと「senior breath of wind 和」のことで、本気で喧嘩をしました。「これ以上一緒にいたら、もっと感情的になってしまい冷静な判断が出来ないから、今日はここで止めよう」と私は言って、中断して別れたのですが、後日、彼女が言うのです。私と別れた後、「『あー楽しかった』と独り言が口をついて、フフっと笑っていたの」と。私も、この歳になって本気で喧嘩が出来る人と出会えたんだなと嬉しくなりました。喧嘩をしても、会わなくなる選択は有りませんでしたよ。二人とも。 その時それぞれの夫たちは、お口にチャックでしたね。そう言えば(笑)
素敵な人でした。 尊敬できる人でした。 ただただ、好きでした。
17年間、『初心者も、ブランクの有る者も、演奏できる場を作りたい。』のコンセプトを貫いて、「senior breath of wind 和」を守って来てくれたTKちゃんに、心より感謝の念を送ります。そして、哀悼の心を捧げます。 合掌